リベラリズムと日本(2)

前回は日本と西洋のリベラリズムの違いについて少しお話しさせていただきましたが、今回は西洋のリベラリズムについてももう少し詳しくお話しさせて頂きたいと思います。

 

ただ西洋のリベラリズムと言っても、アカデミックな話をするわけではないのでご安心ください。前回同様、ここでは「リベラリズム」は「リベラル派」「左派」と反対勢力に侮蔑的に批判される人々の考えのことを指しており、必ずしもそれが政治哲学上で公式に認められている「リベラリズム」と一致するというわけではありません。

 

さて、その上で。日本の「サヨク」批判と同じようなのはやっぱり英語のサイトにもあるんですね。例えばこれなんかそうです。

 

記事は英語なので簡単に内容を要約しますと、

1.マイクロソフトが人工知能のTayにtwitterを通して人間とコミュニケーションをとらせてみるというプロジェクトを実施した

2.結果、twitter上で「レイシスト(人種差別的な人々)」から良からぬことを学んでしまいヒトラー総統の大演説を引用なさるなどの西洋では言論倫理上問題とされるような発言を投稿するようになってしまった

3.よってTayの活動は中止された

4.リベラル派は基本的に何の意図も意識もない(その意味で罪のない)人工知能の「人種差別的発言」さえ許容できないようでは、現実の人間のどんな些細な言動も許容できるはずがない

 

ということです。要するにリベラル派の言葉狩りは人工知能の発言にさえ及んでいる、と言いたいのですね。もっと言えば、将来人工知能搭載型のロボットが兵器としてだけではなく治安維持のためのパトロールロボットとして警察の役割を果たすようになったとしても、またそのパトロールロボットがまるで「ターミネーター」のように完全に自立的に思考でき、人間によって予め人種差別的な偏見をプログラムとして植え付けられている可能性が皆無であるということが初等数学の公式のように明らかであったとしても、それでもやはり例えばアメリカのリベラル派は、ロボットがたまたま特定の伝統的に「被差別被害」に合っている人種に属する犯罪者を射殺してしまったりしたらそれは「AIのレイシズム」だと憤るのだとしたら、それはあまりに滑稽ではないか、ということです。

 

人間同士なら相手の倫理性の欠如を批判するという最終手段がいつも使えましたが、相手が人工知能ではもうそれはできませんから、人工知能の発言をまで「レイシズム」だと批判しても、それは西洋の「リベラリスト」の欺瞞を白日の下の曝け出すだけかもしれません。